はじまりの話

今から十数年前、わたしは現代アートを志す一人の美大生でした。
 
『自由に表現するのが良い絵だ』 と教わり、その漠然とした基準にとまどいながら、
厚く塗り重ねた油絵具の中におぼれるように描いていました。
 
そんな時、宝石のように美しい絵に出会いました。
アルバイトして貯めたお金で訪れたフィレンツェのルネッサンス絵画です。
 
『衝撃』 でした。
 
こんなに美しく、慈しむように描かれた絵がこの世にあるのかと。
描くことの本質的なものが、そこにはあると感じました。
 
卒業後、絵からは離れた営業関連の仕事に就きましたが、
忙しい日々、あの美しさはいつも頭のどこかに在りました。いつしか、
『あの美しさは、何だろう?』 『あの美しさについて、もっと知りたい』 と思うようになりました。
 
その想いが強まる一方で一歩踏み出すことに躊躇していたある日、
『ボンッ!!』 『ボンッ!!』 という、びっくりするぐらい大きな音が頭上で鳴り響きました。
家の裏手のクルミの木が落とす実が、屋根にぶつかって立てる音でした。
 
まだ迷っている私に、木は容赦なくどんどん固い実をぶつけてきます。
『ボンッ! ボンッ!! ボボンッ!!』
くるみ切り株03
心は決まりました。
自分の想いに従って、自分が美しいと思う絵を描き始めました。
それがテンペラ工房のはじまりです。
 
背中を押してくれたクルミの木は幹が腐食し、
私が描きはじめたのを見届けるようにして切り倒されてしまいました。
 
けれども、切り株の姿となった今も、そっと工房を見守ってくれています。
あの木に支えられて、今日も絵を描いています。